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zoom RSS 新禧獻孌

<<   作成日時 : 2014/01/12 10:04   >>

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いつのまにか新年(も鏡開き)ということで、本年もよろしく。
 「Qui」の冬休みは暦の関係で例年より一日長く、年末の片づけは忘れて関西へ。暮れの30日、名古屋で車を借りて残雪心配しつつ鈴鹿越え京都へ、大晦日は大阪池田・兵庫西宮・和歌山市と三県またぎ、紀州田辺泊。本州最南端の潮岬で元旦礼拝をともくろむも日の出三時間前にしてはの大混雑で、帰りの渋滞を考えて断念。
 となりの大島の東端樫野岬で満天の星を眺めてから北上。クジラとイルカの追い込み漁で有名になった太地町へ。

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デジカメを地面に置いてみたら北斗七星が映っていてけど見づらいね。

 春はあけぼのというが未明・黎明・あかつき・しののめ・曙の時間、刻々と変化する太平洋を右手にドライブで堪能。太地町の梶取岬へは日の出の20分前くらい7時ころ到着。狭い駐車場もなんとか一台。地元の方々は皆徒歩のようだ。元気な中学生はちゃりで山越えしてきたらしい。

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 灯台の周辺はちょっとした公園になっていて鯨供養碑とかある。灯台の風見も鯨。フェニックス(大葉ヤシ)にシダがぼうぼう生えるのはこの地方の特色でしょうか。そうこうしてるうちに人もどんどん増えて初日への期待感が。

 海靄の上から出るのかな。




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 二拜 かしわ手 一礼  合掌
 神仏混淆、ありがたいものはありがたい。やっぱ雲の上ですね。

敬虔な気持ちになってさらに北上、那智大社へ初もうで。さらに北上新宮は時間の都合ではしょればもう三重県。

 熊野にあると聞いていた磨崖碑へ。世界遺産指定区分の鬼が城近くの紀本町にありました狭い路地の奥の岩山に。
 

 
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 鷺去徐仙子  深入前秦雲   借問超逸趣   千古誰似君     梅華仙史題

 梅華仙史とは久居の人、京都で医学で成功した橘南溪。南紀を訪問したのは寛関9年(1797)というからこの時の作であろう。露岩に書きつけたものを地元の人がおしんで彫刻したという。紀州は徐福の到達地という伝説もあり、先の新宮にもその墓がある。また少し北上した波多須(秦住)にもその上陸地という徐福宮があり、残る熊野古道を散策しつつ訪問してみた。

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波多須神社付近に残る熊野古道(室町時代)
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徐福の上陸地、こんもりした森が徐福宮
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徐福宮の徐福墓碑

このあとひたすら北上して実家を目指すわけであるが高速の渋滞避けつつ抜け道も渋滞、さらに抜け道やってるうちに迷子になるし。夕飯に間ににあったが、三重県は南北に長いんです。翌日は名古屋で碑めぐりをするつもりだったがあまりに寒いのでまた伊勢志摩へ。そっちも寒かったけど。


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